よい人生、よい時間とは・・・。

昔読んだ短編小説にこんなものがあった。登場人物たちに様々な災難がふりかかる。村人が突然神隠しにあったり、惨殺されたり、または二人の人物がばらばらにされてつなぎ合わされたりする。そうした惨事にあっても、その惨事の原因は自らの愚行にあるのではないかと内省し、ひたすらに、自らが生きている世界の神様の慈悲に感謝しつづける。最後に種明かしがなされる。登場人物達は実験室で飼育されているゴキブリであり、彼らの運命を定め惨事を起こす神とは実験を行う生物学者であった。

さて、ここで質問。最後まで感謝しつづけるゴキブリはおろかであったであろうか。おろかではないだろう。残された時間を感謝のうちに過ごすか、恐怖や憎しみのうちにすごすか、どちらかといえば前者が好ましいのは考えるまでもない。

もっとも、これはどうあがいても運命からのがれられないという状況があってのこと。ならばどうしようもない現実とはかえって幸福なのかもしれない。反対に自由な可能性は不幸の始まりなのであろうか?

おそらくは自由や可能性をもっとも期待値の高い方向で活かすのがよいのであろう。例えば大学受験をするとして、裏口入学をこころみるのはあまり賢い方法ではなかろう。受験テクニックに磨きをかけて合格をめざすのもよくない。将来にわたって必要な勉強をして、たとえ不合格であったとしてその勉強で身についた知識や、がんばったという充実が、その後の人生において活きてくるそうした取り組みがもっともよい生き方であるように思う。

どんな結果になろうとも、後悔しない一瞬一瞬が、今日も多くの人々に満ち満ちていますように。