近所のスターバックスは、勉強する学生でいっぱいだ。彼らは、フラペチーノ一杯で何時間か粘る。お店も、それでよしとしている、と思われる。そんな雰囲気にながされて、そのスターバックスにいくと、長居してよいようなきがしてくるし、また実際、長居してしまう。

 

しかし、ものには限度というものがあり、お正月休みに原稿書きに連日かよい、また長居してしまった。また他のカフェにいっても、スターバックスほどの長居をしたいとは思わないものの、しらずしらずのうちに長居するくせがつき、その店の「コード」にひっかかるほどの長居をしたいと思うようになってしまった。困ったものだ。

 

世の中には、なにごとにおいても、そつがなくて、周囲にいい感じを残すことが日常で、けっして場をみだしたりしない人がいる。逆に、なにをやってもとげとげしていて、本人が気にするかどうかは別にして、周囲を引っ掻き回してしまう人もいる。自分もそうなのだなあとあらためて思うできごとであった。

 

とにかく、これ以上は場をみださないように気をつけよう。そうこうして、間隔をおいてたずねたスターバックスでは、よくみかける学生が勉学にはげみ、席はほぼ満席で、ただ一つあいていた窓際の電源つきの席にすべりこんだ。その安堵もつかのまとなりの席の二人組が、「とげとげ」する声で論文の修正内容について議論しているのが、なかなか辛い。

 

声の調子にも、「とげとげ」しい声と、耳にやさしい声がある。同じことをいっても違うものである。より中なにかと「とげとげ」しく他者をおしのけて、利益追求することがただしいものとされ、そのようにいきろと政府もおっしゃっているのだが、はたしてそれでいいものでしょうかね。

 

車の運転をしているとき、あまりにも田舎なのでラジオはNHKしかまともにはいらずNHKをきくことがおおいのだが、NHK第一放送は、午前も午後も女性パーソナリティの声がこれもまたとげとげしいうえに、つけこまれないような周到さも感じられ、気持ちがおちつかなくなる。娯楽のために聞くラジオ放送に対してさえ戦うことを要求されているようなここちになってしまう。

 

プロならば、裏では「とげとげ」しくなるのは当然だが、表ではそんなこと「ありません」という風体でいてほしいものだが。